マネの「団扇と婦人(ニナ・ド・カリアスの肖像)」

印象派の代表的な2人の画家の2つの絵画を中心にとりあげてみる。

1つ目は、エドゥアール・マネEdouard Manetによる「団扇と婦人(ニナ・ド・カリアスの肖像)La femme avec évantail (Portrait de Nina de Callias )。

La femme aux évantailes (1873-74 Musée d’Orsay オルセー美術館)

ここで目に付くのは、背景の壁面一杯に散らされた団扇である。日本では、このように壁面を装飾する習慣はない。では、この影響はどこからか。おそらく、団扇や扇を散らした屏風からであろう。団扇や扇をテーマとする屏風は比較的新しく、俵屋宗達の琳派の屏風などの影響が考えられる。

俵屋宗達 扇面散貼屏風 17世紀前半

あるいは、開港直後の横浜に西洋人向けの遊郭として作られた岩亀楼(がんきろう)の、扇をちりばめた装飾であったかもしれない。

五ヶ国於岩亀楼酒盛之図 歌川芳幾1860
団扇貼交は江戸時代の着物の意匠などでときおり見ることができるので、それらを目にしたのかもしれない。

あるいは、フランスの工房で作られたものもある。1859-65年頃にフランスのミュルーズで作られた織物で、日本への輸出目的である。おもしろいのは、ここで描かれている団扇は、新品のものではなく、かなり年数がたち、ところどころ裂けたり、破れているものであるということである。1859年と、正式通称開始直後なので、もしかしたら開国後にフランスへ輸出された団扇ではなく、その前に個人の手荷物として、もたらされていたものをモデルにしたのかもしれない。

スタンバック=クークラン工房《布地の染色デザイン—団扇模様》1859-65年頃:ミュルーズ染色美術館
が、しかし、実はこのマネの肖像画の背景は、実は散りばめられた団扇が描かれた屏風ではないことに気づく。もちろん、団扇模様でもない。団扇は、描かれているのではなく、この10本の団扇はピンなどで貼り付けてあるのである。背景も屏風ではなく、実は、織物である。
縦に帯状の枠のラインを強調し、屏風風に見せようとはしている。西洋においては、今日でもよく用いられるインテリアへの取り入れ方は、完全に広げて、一枚の絵画のように壁に掛けて装飾する方法がある。が、この「ニナの肖像」の背景は、しかし、屏風ではない。

その証拠は、後にマネに描かれた2枚の絵画にある。

まず、この肖像画に描かれたニナは、マネの友人で著名な文芸サロンの主催者である。酒に溺れ、やがて39歳で早世するが、優れた音楽家でもあったニナは、金利生活者として、安楽な生活を送っていた。そして、そのアパートの室内は、日本のがらくた品の類であふれていた。それは、もちろん、「日本趣味」が当時の流行りだったからである。この絵画は、そのニナのアパートの室内を再現したマネのアトリエで、マネが好んだソファと女性というテーマで描かれているのである。ここでニナはアルジェリア風の衣装をまとい、これまたもう一つの異国趣味を表してもいる。

この絵画の数年後に描かれたのが「マルラメの肖像」(1876)と「ナナ」(1877)。

背景に使われている鶴や花などの模様の織物は、まさしくこのニナの肖像画の背景としても使われたもので、団扇をピンでとめていないだけである。 「ニナの肖像」でマネが試みたのは、単に異国情緒のものを描いただけではなく、絵画的なものの上にほかの絵画的なものを載せるという、西洋になかった日本的な装飾法、ということにもなる。

さて、これらの団扇は、一体どこからきたのであろうか。

この時代の日本からの美術工芸品の欧州に置ける位置をみてみることにする。