団扇と扇子

ところで、フランス語にも英語にも「団扇」に相当する言葉がない。扇子と団扇両方とも《évantail》である。英語では《Japanese Fan》と総称するのが一般的である。
それはなぜなら、本来竹と紙で作る団扇は、西洋に存在しなかったからである。大儀のうちわは、古代エジプトなど文明発祥時から存在するが、竹または蒲葵(びろう)や芭蕉の骨と紙を素材とする「現在のかたち」の原型となった団扇は、室町時代末の日本の発明で、それ以来日本独自のものとして発展してきた。一方、木の薄板を重ねたり、また紙を折りたたんで製作する扇は日本で発明されたものであるが、大航海時代にヨーロッパに渡り、17世紀のパリには扇を扱う店が150軒を数えるほど、上流階級の女性のコミュニケーションの道具として大流行し、生産もされるようになった。紙と木から、絹やレースを貼った洋扇に発展し、孔雀の羽根を用いた扇子も作られた。骨も象牙や、美しい装飾の施してあるもの、など多種にわたる。有名な例では、スペイン宮廷では、貴婦人の言葉の代わりになるコミュニケーションツールとして、「扇子の言語」ができ、扇子を用いたジェスチャーにより、実に多様なルールと意味があったくらいである。であるから、印象派初期の扇子が描かれた絵画は、日本趣味(ジャポニズム)ではなく、スペイン趣味の絵画であったのである。

日本と違い、扇子も団扇も、西洋では最初から女性の持ち物であった。そして、西洋の生活にすでに溶け込み、17世紀には生産もはじまっていた扇子は、多くの画家が扇面画を残してもいる。

上 18世紀のフランスの扇子 下 ドガ《舞台上の踊り子たち》1879年頃

日本でも、扇子は肉筆や版画が主であったため、扇子として組み立てる前の状態のものが残っていることも多い。

土佐光則(伝)《源氏物語画帖 関屋》江戸時代初期:根津美術館
対し、日本での団扇は、もともと庶民の生活のものとして発展したため大半が版画によるものであり、団扇として組み立てる前のものが残っていることは少ない。ましてや、西洋では、本来西洋に存在しないものであったものであるため、団扇のデザインの習作などもほとんど例が見られない。

そのため、「団扇」に対応する言葉が作られることもなく、扇子と同じ言葉ですまされてしまったようである。最近、印象派の扇子と団扇について研究した書物の中では、扇子はそのまま《éventail》で、団扇を《écran》と呼んでいた。《Écran》は、映画のスクリーンや、テレビやPCの画面などを指す言葉である。
団扇のブームが、19世紀末ー20世紀初頭にかけての一時的なものであったので、新たな言葉が作られることもなく終わってしまったのであろうか。

日本でも平安時代の貴族の扇子は、その材質などから身分などを示すツールでもあったが、元来、団扇とは江戸時代の庶民の生活に密着した廉価な商品として発達したもの。そのため、遠い日本からの輸入品であるとしても、他の美術工芸品に比べれば、比較的手に入りやすい価格であったはずである。それが、最初期のジャポニズム、初期印象派の絵画の中で目につくアイテムとなった所以であり、また、ヨーロッパ上流階級の生活に入り込んでいた扇子と異なり、団扇というのは、純然たる日本趣味の表れ、であったといえる。

このように、日本独特のものであったアイテムが、これほど大流行になった例は、現代まであったであろうか。国際社会になり、国際通商があたりまえになった今日においても、この団扇のような流行をみせたものはないのではないだろうか。